乱紋


 山道を下りると、黄葉の数が心なし増える。勿論、数と言うより目に付く頻度。それらの多くは、屋根を翳らせ、枝を高く広げている。
「……どうしたんですか?」
「ちょっと休憩」
 ゆったり立ち止まった乱菊が指したのは、石畳をやや外れ、昂然と立つ一本の樹。
「座れそうじゃない?」
「うまいとこにありますね」
 木陰の掛かった場所にある、いびつだが、滑らかな表面の大きな石は、他とは違う役目を果たしているらしい。
「便利だったらそれでいいわよ」
 近付いて、改めて見ずとも良く分かる。点在する木々の中で殊更それに目が行ったのは、柔らかな影を作る葉が乾いた黄色に変じていた為。
「……ねえ、修兵は?」
「俺は立ってるんで。乱菊さん、座ってて下さい」
「別に立たなくても空いてるじゃない。ここ」
 乱菊が叩いて示すのは、自分の後ろに空いた空間。
「座りなさいよ。そんなとこに立たれちゃ、気になってしょうがないわ」
「そうですか?」
 促された修兵が座れば、それはつまりは背中合わせ。
「何か、変な感じなんですけど」
「そう?」
 聞き返しながらふと思い付いて、乱菊は後ろに寄り掛かった。
「………何してんですか?」
「背もたれみたいで楽」
「いや、感想は聞いてないんですけど」
 当惑気味の修兵の声に少し笑って、乱菊は静かに息を吐いた。
「ねえ」
「何ですか?」
「どうしてあたしを誘ったの?」
「何となくです」
「答えになってないわよ」
「気付いたら、乱菊さんとこに行ってました」
「何よソレ」
「本当ですって」
「訳分かんない」
 さらりと告げられても返事に困る。尋ねた方が、答えを避けて誤魔化した。
 と、いつにも増して気紛れなのか、前触れ無く、揺らいでいた空気が動き出す。
「………あ」
 それは、完全に不意打ち。
 音を立てんばかりの勢いで、黄葉が一斉に降り注ぐ。日を受け返してくるりと風に翻り、止め処無く散る葉は、まさしく雪が降る如く。
「凄い……」
 息を呑むように言えるのは、ただ凡庸な表現一つ。
 降り、積もる。瞬く間に、それらが眼前に形を見せた。
「……凄いですね」
 自らにも葉を乗せて、息を吐くように言えるのも、やはりそんな言葉だけ。
 風が止まっても、まだ名残のように降り掛かる。そして微かに空気が揺れたと思えば、まるで不釣り合いな数が散る。
 果たしてこれは、単なる風の仕業だろうか。
 何とか留めておきたい程に、惜しいと思う心持ちを、まるで意に介さずに葉が落ちる。風が押し、枝が揺れ、葉が促されて離れ行く。そんな悠長なものでは無い。
「こんなに……」
 辺りに広がる色の大きさに、改めて乱菊が目を見張ると、修兵がふと呟いた。
「もう、そうする時…なんですかね」
 この葉を降らすのは、それを手放す一本の樹。動く風は、機会の一つを作るだけ。
 限りにまで染まった葉は、落ちるのではなく落とすもの。風が無くとも、いずれこの樹は葉を散らす。
「散るのは、秋だから…じゃないんですよ。冬になるって事ですから」
「秋なのは?」
「黄葉するって事じゃないですか?」
 染まってしまえば、後は散るしか道は無い。そして染まるのは、秋から冬へと移る為。人はただ、変わる葉色を眺め見る。木々はただ、己に近付く冬を見据える。
「この樹は、一足早いみたいね」
「きっと、それも今だけですよ」
 既にはっきりと移ろい始めた周囲は、否応無しにその先々を思わせる。
「…………そうね」
 応じた乱菊の口調に違和感を感じて、振り向こうとした動きは、しかしすぐに止められた。背中にかかった重みが、危ういバランスを気付かせる。中途半端に開いた口も、用を成さずに閉じられた。
「………………」
 傍にいて、見えない事も、何も出来ない事ももどかしい。背中合わせは、ある意味信頼なのかもしれないが、それ以上を拒否しているなら、これ程遠いものも無い。どれだけ手を伸ばしても、そこには誰もいないのだから。
 黄葉に、止む気配は無い。
 散り乱れては模様を広げ、風を契機に、乱舞しては降りしきる。する事も、言う事すらも妨げられて、修兵は、只々それらを見詰めていた。
 この背を合わせた乱菊は、自分の瞳に何を映しているだろう。





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