仄日


 追い掛ける喧騒を断ち切るように、修兵は勢い良く戸を閉めた。
 執務室。がらんとした部屋は、大きく射し込む斜陽に浮かぶ。穏やかなそれとは対照的に、机の上に積み上がるのは手付かずの書類。
 我知らず、口から微かな溜息が漏れた。
 忙しいというのは、暇が無い。休む間が無いという意味ではなく、休んだ気がしないという意味ではないだろうか。
 そんな事を思うほど、この所の忙しさは尋常ではない。通常を上回る数の任務をこなした後には、いつにも増した数の業務書類が待ち受ける。何とか全て終わらせても、誰かに会いに行くような時間は残らなかった。
 この場合、誰かというのは特定の一人。無理にでも会いたいと思う相手の所にさえ行く暇が無いとなれば、どれだけ忙しいか分かろうというもの。
 最も、この状況は自分の隊に限った話ではない。どこの隊もそれぞれ多忙を極めているが、しかしその事実とて何の慰めにもならなかった。自分に暇があったとしても、向こうが忙しければ結果は同じだ。
 仕事でも、何度か話題に上って名は聞いた。十番隊はどうだと、様子を告げる話も聞いた。だが、殆んどそれだけ。当然ながら、具体的にどうしていると、そんな事まで聞こえて来ない。
 副隊長同士は定期的に顔を合わせるものだが、それもまた例外が続いている。例え顔を合わせたとしても、私的な会話などする暇は無い。だがそれでも、全く顔を見ないよりは遥かにましの筈だった。
 彼女は何をしているだろう。少しは、自分の事も考えてくれているだろうか。それとも、忙しさにそんな事を思い出す間もないのだろうか。会えない事を、こうして気にしているのは自分だけなのか。
「………くそっ」
 本気でどうにかなりそうだ。息を吐く間も無いのに加え、僅かな休息までをも様々に物思いが妨げる。
 自分の机を敢えて無視して、修兵はソファの上に倒れ込んだ。
 身体が重い。ただ休んだだけでは、到底取れそうにない類の疲れだろう。折悪しく、射した西日が目に沁みて、不快な気分が一層増した。
 仕事だけなら、こうまできつくは無いかもしれない。気に掛かる思いが強過ぎて、それが全てに影響している。
 自分はもう少し、要領のいい人間ではなかったか。表面上、仕事に支障を来たしていないのがせめてもの救いだが、ある事となると、自分は本当に救いようが無い。
「……………」
 会いたい。と、無性に思う。
 しかし思ったところで、現実が伴う筈もない。立場上、課されたものを放り出す訳にはいかないのだ。為すべき事をしなければ、何もできないようになっている。
 ゆっくりと、ソファから身を起こした。
 忙しさに追われるうちに、窓の外では鮮やかさが色褪せた。だが、こんな時だからこそ、会って酒を飲み交わすのに丁度いい。気を散らすものが無いからこそ、互いの話に身が入る。
 会いたい。会おう。と、そう思った。
 書類を片付けようにも、きっと、夜に入った程度の時間では終わらないだろう。それも、他の仕事が入らなければの話だ。しかし、全て終わらせたら、会いに行こうと心に決める。
 行って、果たして会えるのかは知らないが、このままでいるのはもう沢山だ。今日会えなくとも、明日会えるかもしれない。彼女に会うまで、何度でも賭けをする気は十分にある。
 断言できる自分自身に呆れ果てるが、重症なのは明らかだから、今更それで彼女に体裁を取り繕っても仕方無い。
 独り思い悩むだけでは、気が滅入る以外に何も無い。何かしら行動を起こした方が性に会う。
 そう思う事にしておこう。
 立ち上がり、軽く外を見遣って机に向かう。
 秋も冬も日暮れは早い。だが今日は、少しばかり、耐えてはくれないものだろうか。





inserted by FC2 system