昏夜


 片空に光は落ち込んで、夕色は速やかに抜けていく。旻天は盈月を皓々と置き、蒼く翳んで薄明を保つ。
 街路に入る灯、外に漏れ出す窓の明かりも、未だ大きく光を持たない。
 隊舎を出、仄暮れの木陰に人を見て、修兵は驚いて立ち止まった。
「―――遅いわよ。修兵」
「乱菊さん……どうしたんですか?」
「どうしたも何も、わざわざ待っててあげたんじゃない」
「珍しいですね。これから迎えに行くつもりだったんですけど」
 言いながら、陰から抜け出た乱菊へ近付く。
「……時間、約束より早くないですか?」
「たまにはね」
 そしていつものように、いつもの道を歩き出す。普段と同じ。並んで歩く、その間の沈黙が、気に掛かるような事も無い。
 道脇で、落ちて枯れ、根元で翳る紅葉の葉。落ちぬ半ばは暮色を遮り、色より形を表した。山茶花は、潜めた枝葉に浮かぶ花。枯れ草に、色を掠めて残した小菊。黒々と、垂らす南天の赤い房。全てに薄く、深く広がる暗がりに、吹くともなしに冷風が在る。
 夕暮は蕭然とし、そしてどこか、ぼんやりとした艶色を持った。
 前触れ無く、手に添うようにして指が絡む。
「乱菊さん……?」
「手、何でこんなにあったかいの? 寒いのに」
「何でって聞かれても……」
 思わずそのまま、立ち止まる。
「乱菊さんの指、細いですね」
「でも冷たいわよ?」
「じゃあ、こうしたらどうですか?」
「あったかいわね。片手だけ」
 言いながら、右手を包んだ骨張る両手に左手を乗せる。開いた片手が、その手も中に引き入れた。
 人通りの無い道を、どちらともなく譲るように脇に寄れば、二人夕陰に紛れ込む。
「乱菊さん。今日は、どうしたんですか?」
「さあ。……でも、修兵もそうでしょう?」
 繧繝の薄闇。冴え冴えとした冷気。互いの表情は、微かな明かりに判然としない。
「修兵はどうしたの?」
「さあ、どうなんですかね」
 暗がりで添う。普段に無い事、それが不思議にそれぞれ可笑しい。
 寄り掛かった乱菊の、流れる髪に手が伸びる。
「乱菊さん」
「何?」
「俺の部屋、来ませんか?」
 耳元で尋ねる声に、暫し小さな笑いが返る。
「駄目ですか?」
「駄目よ。飲む物無いでしょう?」
「買って行けばいいですよ」
「食事も?」
「何か売ってる物で」
「それも、いいかもしれないわね」
「じゃあ……」
「でも行くのは駄目」
 そう、聞いた相手は不服そうに黙り込む。せめてもの抵抗か、乱菊の両肩に腕が回った。
「どうしてですか」
「気分じゃないの」
 言って、腕からするりと抜け出ると、今度は乱菊が、修兵の耳へと口を寄せた。
「―――だから、修兵が来てくれない?」
「……そういう気分ですか?」
「そう。あたしもね」
 黄昏時。昼と夜とが混じる頃。人知れず、薄彩色の闇に酔う。





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