暁更


「―――晴れになりそうですね……」
 細く開けた障子から、入る空気が顔を撫でる。冷えた大気に、呟く言葉は自ずと白い。
 青みがかった黒い空。東天煌めく明星が、夜明けの近さを思わせる。月は沈んで雲は消え、風も止まって、鳥さえ動かず只静か。
「―――……ん……何か言った………? 修兵……」
「あ、まだ寝ててもいいですよ」
 身を起こそうとする乱菊に、修兵は慌てて障子を閉めた。
「時間、まだ早いですから」
「……目、覚めちゃったのよ。どうせすぐに起きるんだし……」
「そのままじゃ寒いですよ」
 星明りの空に、部屋の中は未だに暗い。闇に慣れた目で、修兵は脱ぎ置かれた着物を取り上げた。
「気が利くわね」
「どういたしまして」
 襦袢姿の乱菊の肩に着物を掛けて、後ろから軽く抱き締める。
「……前言撤回しようかしら」
「こっちの方が早いかと思って」
 冗談交じりに笑い合い、そして息吐くように寄り添った。
 明りの無い部屋に、調度がぼんやりとだけ浮き上がる。大きく目に付くのは、箪笥と文机。その上に乗ったままの徳利と杯。
「……片付けなきゃ」
「あ、手伝って行きますよ」
「いいわよ。今日帰ってからやるから」
「物凄い後回しですね」
「全部飲んでんだから、ちょっとくらいこのままでも大丈夫よ」
 視線を戻して、明り障子を透かして取れる、戸外の様子を推し量る。
「まだ暗いわね」
「もうすぐ明るくなってきますよ」
「外、どうだった?」
「今朝は結構冷え込んでますね」
「曇り?」
「いや、雲が全然無かったんで、秋晴れになりそうですよ。風は冷たいと思いますけど」
「そう……陽射しがあるのは嬉しいけど、本格的に寒くなってくるわね」
 言って小さく身じろぎすると、頬に修兵の死覇装が触れた。
「そろそろ帰るの……?」
「俺も非番は当分先なんで」
「大変ね、お互い」
「一度ゆっくり冬眠したいっスよ」
「まだ秋だから、無理なんじゃない?」
「そろそろ冬だと思いますけどね。ま、冬になっても無理そうですけど」
「冬眠中に隊がどうなるかを考えると、ゆっくり寝てる場合じゃないわね」
 苦笑混じりに同意する。
「―――……じゃ、俺、そろそろ帰ります」
「ええ」
 答えに身体が離れると、温もりを離さぬように、掛けられた着物に手を通す。
「……修兵」
「何ですか?」
「定例集会は?」
「今日は大丈夫のつもりです。乱菊さんは――」
「行くわよ、ちゃんと」
「そうですか」
 障子に手を伸ばしたまま、修兵は一瞬だけ考える。
「………乱菊さん」
「何?」
「今日の仕事、早く片付いたら迎えに行くんで」
「片付くの?」
「どうしても駄目なら明日」
「……そうしたいんなら、頑張りなさい」
「努力します」
 そして、開いた障子が修兵の姿を隠して静かに閉じる。気配が密かに遠ざかるのを、暫し無言で見送った。
 気配が完全に見えなくなると、着掛けた着物の襟を合わせる。濃紺の紬は対丈ではない。そのままだと裾を引き摺る格好になるが、乱菊は構わず立ち上がった。
 障子をそっと引き開けて、早朝の強い冷気に思わず肩を竦める。地上の辺りは暗いものの、東から、景色はゆっくりと色を戻し始めていた。
 秋の夜長とよく言うが、久方振りに会えた夜は、酷くあっさりと明けていく。
 そう感じても、乱菊自身は態度に見せない。その代わり、自分が思うと同じ様に、人恋しいのも名残惜しいのも、修兵が素直に表してくれる。
 ―――ある意味甘えているのは自分だが、きっと気付いてはいないだろう。
 曙色は、白く溶けて薄青に広がる。遮る影の一つも無く、光を伸ばした空を背に、黒く映える木立の枝葉。
「晴れになりそうね……」
 ぽつりと呟く言葉が、淡い暁光に白く消えた。





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